ー概要
みなさんはスイミーという絵本をご存知でしょうか。
レオ・レオニ著書の絵本です。
ざっくりいうと、”1匹の魚が寂しさを紛らわすために仲間と群れをなす”…といえばわかりやすいでしょうか。
その群れを形成する意味には、もっと深い理由が隠されています。
小学校の教科書にも載るほど有名な絵本ですが、私自身通っていた小学校の教科書にはレイアウトされていませんでした。
内容は奥深く、「グリとグラ」に匹敵するほどの物語性です。
ではあらすじを。
ーあらすじ
ある海にスイミーという1匹の魚がいました。
他の魚はみんな色(背びれや体色含め)赤だったのに、スイミーだけなぜか真っ黒です。
しかし泳ぎの速さは他の魚よりも抜きん出ていました。
ある日、1匹の巨大なマグロが襲い、スイミーを除く全ての赤い魚を捕食されてしまいました。
泳ぎに長けていたスイミーだけは、スイスイと逃げおおせることができました。
しかし、残されたスイミーはどこか寂しい。
そこで岩礁に隠れた1匹の魚を見つけます。
スイミーは「なんでそんなところに隠れているの?外へ出ようよ」と誘うのですが、その魚は「マグロに食われるのが怖いからここに隠れているんだ」と拒否。
1匹のみならず、多くの魚はマグロの存在を恐れていました。
そこでスイミーはある提案を持ちかけます。
自分の体色が黒ということを利用して「目」となり、他の魚と一体化することで大きな魚に見せかければマグロも怖くない…という提案でした。
かくして赤い魚たちはスイミーと行動をともにすることで群れを形成し、巨大なマグロにも対抗しうる存在となったのです。
マグロは恐怖で逃げ、赤い魚たちとスイミーは今日もまた海の中を泳いでいます
ーーーーー
ここまでがあらすじです。
どうでしょうか。
スイミーが赤い魚たちと行動をともにするようになったのは、もちろん仲間を失ったことへの寂しさを紛らわすためでもあると思いますが、何よりマグロという脅威にいつまでも怯えていちゃ何もできない、身の振り方を変えないと僕たちは”幸せ”になんかなれない…というスイミーの深い理由が隠されています。
仲間を失う経験を目の前で味わったスイミーが1番「仲間の大切さ」を知っているはずです。それを2度も経験したくない、というのも1番わかっているはずです。
それでもスイミーは他の赤い魚たちとともに、マグロに対抗しうる群れを形成してマグロと最後まで戦い続けました。
海、まして小魚たちにとって哺乳類は天敵です。過酷な生存競争に駆り出され、いやでも生き延べる方法を考えなければなりません。
例えば、イカなら外敵が近づくとスミを吐いて視界を遮らせますし、タコは岩場や海藻に擬態してその場をやり過ごす…といった方法をとります。
しかし小魚にとってはそんな芸当なんてできないですよね?
だからマグロの餌食となり、泳ぎの早いスイミーだけが生き残ったのです。
これは現代でも言えることであり、社会の勝ち組が負け組をいじめるリアルな構図とよく似ています。
時の権力者や為政者は、弱者を切り捨てる(または犠牲にする)形で、その権力基盤を固めていきました。中国で言えば、劉邦の存在がいい例です。
また、弱者と呼ばれる人たちは、潜在的な強さを秘めている。権力者が幅を利かせれば、それこそ近い将来謀反を起こす反乱分子になりかねない。
そういった意味で切り捨てるのも権力者のやり方でした。中国の武将韓信がまさしくいい例でしょう。
しかし現代はその方法も見直しが迫られています。
弱者の意見が、ときに有用な選択肢となることもあるのです。
「少数派は声が大きい」という言葉は、今では通用しません。
権力者による意見が議決も多数決もなしにまかり通れば、それは独裁国家です。
それを防ぐために、日本では内閣や予算委員会といった合議制が敷かれ、少数派の意見もしっかりと尊重しているのです。
スイミーという物語を通して伝えたかったのは、まさにこのことではなかったのかと。
あくまで憶測ですが、根拠としては十分に強いはずです。