ー戦争の繰り返し
戦争は繰り返してはならない。不戦を貫き、2度と同じ惨禍を繰り返さぬよう、過去の世界大戦への痛切な反省と教訓を踏まえ、今日まで平和を維持してきた。
しかし、その根幹を揺るがす事態が、現在起ころうとしている…。
その記述については、本稿では避けたいと思う。
平和に対する気持ちのベクトルが、アメリカや日本は他に向いていると言わざるを得ない。
なぜ歴史は繰り返すのか。
本稿では、日本がアメリカに対して行った真珠湾攻撃について取り上げる。
ー真珠湾攻撃とは
欧米列強が続く中、植民地を増やし続けてきた英国やアメリカに対して、日本はある攻撃を仕掛ける。
それが1941年に起こった真珠湾攻撃だ。
大和や武蔵を含む巨大艦隊を海上で進め、真珠湾を攻撃したのだ。
日本にもそれなりの損害はあったが、最も深刻だったのがアメリカの死者数、および損害度だ。
なぜこれほどまでの惨たらしい行為に及んだのか。
この真珠湾攻撃は、1941年の10月7日に行われている。
これはれっきとした宣戦布告であり、日本はアメリカの戦意を削ぐ目的で攻撃をしたのだが、これがかえって非難されることとなり、欧州含む世界的な対戦にまで発展した。
ここで注目したいのが、当時この至上命令を下した山本五十六長官だ。
山本長官は軍事面で日本はアメリカよりも劣っていたことを知っており、その軍事力を少しでも減らすために真珠湾攻撃を仕掛けるよう、当時の大使館に直談判したという。
しかし、これがかえって火種となり、日本は否応なしに開戦を迫られる。
なぜこれほどまでの見切り発車な判断が、当時下されたのか?
和平による交渉はできなかったのか?
実は真珠湾攻撃を仕掛ける前、日本はアメリカに対する宣戦布告の証として日米覚書を通達し、それをアメリカの首脳に手渡す予定だった。
しかし、これを受け取った時にはすでに真珠湾攻撃は行われており、真珠湾は火の海と化していた。
この遅延は、一体どこから生じたのか。
これには様々な憶測が飛び交うが、最も有力な説が、シンプルに「タイマン(怠慢)説」だ。
ここまでの規模に及ぶシナリオを想定していなかったのだろう。
戦争とは、言い方はちょっと陳腐だが、いわゆる「陣取りゲーム」だ。
言ってしまえば、先制勝ちなのである。
先に兵力や作戦遂行能力を奪う目的で攻撃すれば、のちの戦いにおいても有利に働くという魂胆が見え隠れする。
しかし、現実は甘くなかった。
予想を超える兵力差に日本は劣勢となり、最終的に広島・長崎に原爆が投下されるという、史上類を見ない惨劇をもたらした。
そして1945年にポツダム宣言がなされ、戦争は終結へと向かうことになる。
被害や死者数は、第一次世界大戦の比ではない。
ー平和的に解決する方法
人間とは、愚かな生き物である。
武力行使で、覇を競い合う。
話し合いによる交渉は、もはや風前の灯。
今や理屈だけでは解決できない、国同士のジレンマがあるのだろう。
私は、人間同士による争いほど醜いものはないと思っている。
終わりの見えない戦いに明け暮れ、勝利した後に残るものは、わずかな領地と戦利品だけ。
他の兵士は戦死し、涙を流す人のほうが多いというのに。
失うもののほうが遥に多い。それをわかっていてなぜ戦争をするのか。
プーチンによるウクライナ侵略は、今なお続いている。
北朝鮮のミサイル打ち上げ実験も、懲りずに行われている。
台湾有事も深刻だ。
これらの問題1つ1つに対処し、被害なくして解決できる方法としては、やはり「交渉」が1番だと思う。
あとは強欲にならないこと。領地を奪い合って、一体何が楽しいのか。意地を張って対抗するから、亀裂を生んでしまうのだ。
今日に至るまで目立った戦争はなく、平和主義を貫いてきた日本だが、今後の先行きは不透明だ。
政府には誤った判断をしてほしくない。そのために、わたしたち有権者がまともな政治家を選び、国の舵取りをしていかなければならない。
有権者1人1人の清き一票が、今後の世界の命運をも左右するかもしれないのだから。