ーファミコンとは
ファミコン全盛期…
およそ30年前に一世を風靡したFCことファミコンは、ゲーム市場において最高記録の出荷数を達成。
当時は8bitという大幅な制約の中で開発を迫られ、ピコピコ音とレトロな画面で、一躍ゲーム市場を席巻した。
代表的なゲームが初代のマリオブラザーズだろう。
マリオブラザーズは今でこそ最先端のテクノロジーが取り入れられ、なお進化を止めないが、昔のFCマリオブラザーズは良くも悪くも地味だった。コインブロックを叩いたり敵を踏みつけたりなど、とにかくベーシックな要素が盛りだくさんだった。
一本道のコースをひたすら走り、ゴールへと目指す。そのコンセプトは最新作でも引き継がれているが、その分難易度も格段にUPしている。
ーアニメとゲームの融和性
また、ファミコン全盛期と同時に、もう一つアニメ市場を席巻した存在といえばなんだろうか。
それがワンピースやドラゴンボールなど、数々の王道アニメ作品を連載してきた週刊少年ジャンプだ。
通称「ジャンプ黄金期」とも呼ばれ、誌上アンケートやSBSでの投書殺到など、その勢いは隆盛を極めていた。
伸びる見込みのないコミックはその時点で打ち切りにするという、商業誌としての厳しい一面も持ち合わせていた。
しかし、その修羅場をくぐり抜けたワンピースやドラゴンボールは、後にアニメ化・映画化・スピンオフ化・ノベル化など、形を変えながら今なおアニメ界のトップを牽引している。
ファミコンと週刊少年ジャンプの同時並行…この2つの存在が日本のサブカル文化を変えたといっても良い。
今やアニメはクールジャパン戦略の一環として、主要コンテンツに格上げされた。
ゲームももはや軽視できない。EスポーツやゲーマーのYouTuberなど、ゲームで稼ぐ人も増えている。
ーファミコンと今のゲームとの比較
ファミコン全盛期を支えた一つのきっかけが、レトロゲーマー(当時はゲーマー)の台頭だろう。
例えばケムコという株式会社をご存知だろうか。
ケムコは今でこそ携帯電話アプリによるゲームのリリースに力を入れているが、コトブキシステム事業に取り入れられる前は、もっぱら家庭用ゲームソフトやその周辺機器の開発・販売にしのぎを削っていた。
若い人ならケムコの存在はもはや忘れているだろう。現在はコトブキソリューションに家庭用ゲームソフトの開発や設計を全て丸投げし、携帯電話アプリのリリースも一時休眠。再開の目処は立っていないのだ。ファミコンブームが去ったからだろうか。
ケムコの代表作として、シャドウゲイトが挙げられる。
スペランカーに匹敵する「死にゲー」と揶揄され、主人公が今際に残す「辞世の句」というものが特に傑作の作品だった。
元々はアメリカのMacintosh向けに発売されており、それがのちに日本語版に意訳され、ローカライズ化された。
ファミコンやSwitchにも移植され、3DSやWiiUのバーチャルコンソール配信もされた。
ファミコンでプレイすると、またPC用とは違った楽しさがある。
それもそのはず、主人公が死ぬとき、上画面に必ず鎌を持った死神が現れ、「あなたは死んでしまった!」と生々しくナレーションするのだが、日本語版では主人公自身が「私は死んでしまった!」と問いかける形式になっているからだ。
つまり外国版のシャドウゲイトは、1人称が自分であるのに対し、日本語版のシャドウゲイトは1人称が主人公自身であるということ。
こういう制作スタッフのちょっとした遊び心が、レトロゲーマーの密かな楽しみとなっていた。
ところが今ではどうだろう。ファミコンは廃れ、新たなプラットフォームが台頭する中、既存のソフトは次々と埋没していく。
レトロゲーマーにとって今のゲームはどうにも受け入れがたいものがあるという。
それはなぜか。
こういえば懐古厨と思われてしまうのが関の山。しかしあえて言わせてもらいたい。
レトロゲーマーの間では、ファミコンソフトの8bitやカラーパレットもない厳しい制約の中で、いかようにゲームを楽しめるかという独自のマインドがあった。
当時はガイドブックやネットの攻略サイトもないため、ゲーム上ストーリーに行き詰まっても自分で解決するしかなかった。
しかしレトロゲーマーにとってそれが1番の醍醐味だったという。
初代のドラクエを思い返してほしい。FC版1〜2は復活の呪文という、それはそれは大変めんどくさいセーブ機能があった。
コンティニュー機能もないため、手書きでメモした″復活の呪文“をなくさないよう、大事に保管していた。
一文字でも間違えれば、即ゲームオーバー。
しかし、そういった厳しい制約があったからこそ、先の見えないゴール(クリア)に謎のプレミア感を抱いていた。
「何がなんでもこのゲームをクリアしてみせる!」という気概を、今よりもはるかに強く感じる。
今のゲームは攻略サイトを見るだけで簡単にクリアできてしまう時代だ。
なんというか、達成感がない。
それに比べてファミコンソフトはどうか。
ドラクエやffも、初代のほうがクリアしたときの達成感はすごかったのではないか。
これはある意味当然の話で、ネットで見つけた記事をサラッと読むのと、遠い図書館にわざわざ足を運んで本を借り、それを完璧に読み切るのとでは、どっちのほうが満足感があるか。
それは言わずもがな後者である。あのしんみりした読後感…
これは読み切るまでの苦労があったからこそ味わえる感覚といえる。
ネタバレしたい放題の現代では、あらかじめ設計されたローラーコースターに乗って走り回るだけのようだ。
何も知らない、予備知識もない状態だからこそ、ゴールに辿り着いたときの達成感は大きい。
今のゲームは大事な点を見落としてるように思う。