ーchat GPTの導入による公教育への影響
現在、厚生労働省が学校教育の場に、ITの最先端をゆく「chatGPT」を導入する検討案を審議している。ICT教育の重要性が叫ばれると同時にchatGPTの存在ももはや無視できない。
まずchatGPTとは、AI(人工知能)による文章チャットbotである。ある質問をすれば、必ずそのお題に沿って的確な回答を下す。どんな質問も網羅しており、答えられない質問はないと言ってもいいほどその情報量は膨大である。
それを公教育の場に持ち出そうという発想に結びつけたのが、厚生労働省なのである。だがそこにはchatGPT導入に伴い、ある懸念がくすぶる。それは一体何か。
ーChat GPTのリスクを理解しよう
まずchatGPTには回答を得意とする分野と苦手とする分野がある。税金や決算など、計算やExcelが関わるような演算処理は、もはや専売特許である。ヒューマンエラーの多い決算報告では、chatGPTの導入を早くも検討している会社や企業が多い。
あとは医療分野でよく用いられる薬剤の解析データの処理。患者に合った適切な調剤を選択し、しっかりとそれを薬剤師に伝える。まさにそれも得意とする分野だろう。では逆に苦手とする分野は何か。
chatGPTが苦手とする分野は、平たく言えばアニメや著名人、人間の性に関することである。例えばアニメでは「このキャラは何話に登場しましたか?」と質問すると即座にそれっぽい回答を返してくれるが、実は眉唾ものが多い。
実際、私が試した限り、9割9部9厘不正解だった。アニメに対する情報処理はいまだに追いついておらず、さらなる開拓が期待される。
また、著名人も同様。「この有名人のおすすめ作品を教えてください」と質問したら、全くウソの回答が出てきた。ありもしない作品を挙げ、検索にかけても全くヒットしないものであった。そこら辺の精度はまだ甘い。
最後に人間の性。いわゆる1人の人間が抱える悩みや不安について、コンピュータは的確な回答を下すことはできない。そういった人間の相談相手には、同じ人間を当てるのが望ましい。コンピュータには感情がないので、人間にまつわる悩みや相談の解決には不向きなのである。
ー教育の場にChatGPTを導入する
しかし、chatGPTは今やIT業界を揺るがす存在になっており、オーバーテクノロジーの枠を越えて、もはや人智を超越するレベルにまで達している。将棋や囲碁といった頭脳プレイもお手のもの。では子どもの教育にchat GPTを導入するのは正しい選択なのか。
私はハッキリNOと答える。
子どもや青少年は、何を見てどう学んだか?まずその原点を振り返る必要がある。
まず子どもは何を見て育ったのか。それはまぎれもなく親である。親の行動を見て、善悪の判断を学ぶ。その延長で、社会性も育む。これを心理学用語では「社会的参照」と呼ぶが、まさに文字通り。
「参照」というのは、いわゆる参考にするのとほぼ同義。ただ見て終わるのではなく、学んだ知識をもとに様々な新ジャンル、新機軸へと足を踏み出していく。
この一連のプロセスを私は「成長」と定義しているが、これをchatGPTに置き換えるとどうなるか。
いつも決まったような回答しかくれないchatGPTに慣れてしまえば、自分の頭で考えることができなくなる。良くも悪くも正しい回答(例外を除き)しかくれないので、そこに疑問を挟む余地がなくなる。それは子どもの創造的な思考を根本から麻痺させてしまうことを意味する。
よく活字に慣れろというが、私はそっちの教育に力を入れるべきだとつくづく思う。
SNSが発達し、ネットでの情報が氾濫する中でいかに自分の考えを持てるかが重要なのである。長いものに巻かれて、ホイホイ多数派の意見にしたがってしまうような人間は、まず疑うことを知らないのだ。
chatGPTも同じである。賢い人ならば、正確性を期して何度も質問するだろうし、常に疑いの目をもってchatGPTに臨むだろう。しかし、chatGPTに味を占めてしまった人はどうだろうか。
自分で考えずchatGPTだけの回答を信じてしまい、ますます脳は錆びついてしまう。生徒たちの開拓者精神を謳う学校は多いが、その実験的試みをまるで潰すようなchatGPT。その導入を厚生労働省が審議中なのだから、全く世も末である。
chatGPTはあくまで情報に厚みを持たせるための、単なる上書きにすぎない。chatGPTからもらったアドバイスから着想を得て、独自の考えに結びつけていく手法は立派だし、まさに思考が生きた瞬間といえよう。
公教育の場にchatGPTを導入する案ははっきり言って断固として反対だ。今すぐにでも「chatGPT導入案反対!」と書かれたプラカードを掲げて、政府や厚生労働省に訴えてやりたい気分だ。
子どもの健全な育成には、自分で考えて書くというプロセスは避けて通れない道なのである。